厳しくなる自主規制
自主規制する国民
例えば1980年代と比べて現在の社会は非常に自主規制が多くなっているように思う
上司が暴力を振るうと大ニュースになるが80年代はその程度のことは日常的であったので重傷を負わない限り問題にならなかった
ましてや言葉の暴力でパワハラなどと言われることはなかった
ブラック企業が増えたように言われるが80年代以前は休日は日曜日のみで今のブラック企業が当たり前だった
80年代は有名人や政治家の発言は今のように規制されることはなかったが現在は少しの差別的な発言も問題視されるようになっている
タバコなども小学校の職員室でさえ先生が自由に吸っていたのだが現在は歩きタバコさえも問題になっている
アルコールも一気飲みをするのが当たり前になっていたがもちろん現在はこれも問題になる
最近はウイルスに非常に敏感になってきており人の集まるところでマスクをすることが当たり前になりマスクを着用せずに咳やくしゃみをすれば非常識だと言われるようになった
とにかく昔と比べて相手に気を使う社会になっている
以前と比べ暗黙のルールが非常に多くなった
何をしても問題になるので同じような行動しかできなくなる
何をするにも発言に気をつけなければならず同じような事しか言えなくなる
昔と比べて国民は大人しくコントロールしやすいマナーの良いものに変わってきている
人材の芽をつむ障害の概念
現在は一風変わったような子供が「発達障害」と診断され特別な支援の対象になっている
全体の5%がこの発達障害の対象になると言われる
私は5%もいる人間に障害という名前を付けることに違和感を覚える
このような子供の中には非常に勉強ができる子供もいれば乱暴だがグループを引っ張るような子供も含まれている
子供の特性に合った支援をして社会に適応できるようにすることは素晴らしいことだと思う
しかしながら障害と認定されてしまえばそのような人物に従っていく人間は少なくなるだろう
私は発達障害に認定される子供の中には社会を改革するような人物が含まれているように思う
アメリカから導入されたこの概念はもしかすると社会を改革するような人物を抑止するための概念なのではないかと思う
このシステムのおかげで社会を変えるようなエネルギーのある人物は少なくなるだろう
新サービスは超巨大企業の特権
通常の企業が何か新サービスや新製品を作るとすぐに大きな問題になる
例えばGoogleマップのストリートビューなどは世界中の個人の家まで見えてしまう
これを日本の会社が行うことができるだろうか?
このようなことをすればすぐに問題視されサービスを停止させられてしまうだろう
電子マネーも5年以上前から日本にもあったが2019年までほぼ普及しなかった
今まであったサービスにもかかわらずどの大企業も手を出さず2019年から急に力を入れるというのも違和感を覚える
何らかの大きな組織の許可が下りたのが2019年だったのではないだろうか
それ以前に開始したとしても結局国民の声で中止させられたのではないか
自動運転も日本だけが先行してできるだろうか?
現在は世界の流れとして認められているので実現可能になってきているが10年前に日本だけが自動運転を開始しようとしても必ず国民から非難の声が上がっただろう
結果として日本の企業は新しいことを開始する際に何らかの許可を待たなければならず許可無しで開始すれば国民の声によって中止させられるだろう
新しいことができるのはアメリカの超巨大企業か独自の権益を持つ中国の巨大企業のみである
規制や障害認定の結果
この40年間で様々な形で自主規制が増え自由は少なくなった
建前は全て社会正義であり規制の理由は納得のいくものが多い
規制は国や支配者が発したものではなく国民から生まれた形になっている
規制の結果居心地が悪いかと言われれば前より快適になっていると感じる
しかしこの規制にはある程度特徴がある
それは
「国民を従順でマナーの良いものにすること」
「社会を変える人間を排除すること」
「通常の会社に新サービスを作らせないこと」
である
このような社会はいったい誰が作り上げているのだろうか?
本当に国民の中から善意で生まれているのだろうか?
国民の善意から生まれた規制にしては超巨大企業の前には不満が出ないのは何故だろうか?
日本特有の一気飲みなどを除き基本的には欧米から来ている概念のように思う
このような自主規制や障害認定の流れは世界的な流れで今後もますます厳しくなっていくだろう
国民にとって悪いことではないので反対はしないし超巨大企業がこの規制を生み出したわけでは無いのかもしれない
しかしこの社会の変化が結果として超巨大企業やそれの背後にいる人々の権益を100年、200年と維持することになるのは間違い無いだろう