考えるとは何か
考えるとは何でしょうか?
日常で物を考えているのに考えるとは何かと聞かれると答えに困ってしまう方も多いと思います
少し考えると言う事について考えてみましょう
人間は何一つ真実を言うことができません
人間はぼんやりした言葉を組み合わせてぼんやりした内容で真実を含んだ事を言うことはできます
例えば
私はこれからボールを上に投げます
ボールはこのグラウンドのどこかに落ちます
と言うことはぼんやりとしてはいますが真実を含んでいます
しかし人間はボールが地上のどのポイントに着地するかを完全に言うことは不可能です
どんどん追求して何万分の一ミクロン単位で表現していくことは次第に不可能になるからです
もしアメリカの何処かに落ちると言えば真実を含んでいないことになり間違っています
人間はこのようなぼんやりとした言葉を使って真実を含んだ内容をぼんやりと作っていきます
人間は何一つ真実を言うことができませんが真実を含んだことは言うことができます
私たちは真実を含んだまま必要な程度まで精度を高めていくことができます
考え始める時の言葉について
考え始めるときに使う言葉はたくさんあります
どれ、だれ、いつ、どこ、なに、なぜ(理由)、どうすればいいか(手段)
これらの言葉について少し説明します
①どれ、だれ、いつ、どこ
これらの問いかけは具体的な解答が存在しているときの問いかけです
わかりやすい問い掛けです
しかし本当に答えがあっているのか追求していくと人間の力では答えられなくなります
②なに
これは非常に重要な問いかけになります
物や事について真実を含んだまま精度を上げるための問い掛けです
ぼんやりした物や事について別のぼんやりした言葉に置き換えます
置き換えたものが全ての状況で同じ結果になれば同じものだろうと認識されます
しかしこれも何万通りもの状況を試したわけではないので完全に同じものかどうかは人間にはわかりません
③なぜ(理由)
これは理由を求める時の問いかけです
「理由は何か」と同じ問いかけです
理由とは「ある物事の変化を引き起こした物」のことです
「変化を引き起こした物は何か」と同じ問い掛けです
結局は「なにか」と同じ問いですので言葉の置き換えをします
人間には完全な答えはわかりません
④どうすればいいか(手段)
物事がある状態に変化を引き起こすため(目的)の手段を求める問い掛けです
「手段は何か」と同じ問いかけです
人間には真実はわかりませんので確からしい回答をします
目的次第ではたくさんの回答ができる問い掛けです
考える力は個人差がある
「なにか」「なぜか」「どうすればいいか」の問いかけに答える能力は個人差があります
ある人の回答はいつも現実と照らし合わせて外れています
ある人の回答はよく真実を含んだ回答をします
知識は増えますがこの能力は増えません
考える力が人間の行動に強く影響する
①行動決定の動機は「快と不快」
人間の行動の動機は「快か不快」かを感じる感覚から始まります
この感覚も個人差はあると思います
この感覚は学習によって変化する部分もあります
まずこの感覚の違いが人の行動決定に大きな影響を与えます
②「快と不快」をもとに行動決定
人間は「快と不快」をもとに行動決定をします
このときに「どうすればいいか」という問いかけがされます
ここで人間は考えますので考える能力の差によって行動決定が変化する事になります
考える能力の差によって行動は大きく変わります
これによって一般的な考える能力の人と比べ考える能力が劣っている人と優れている人は行動が特殊になります
歴史上考える能力の高い人物が変わり者が多かった理由はここにあります
追記
社会が考える能力の高い人材を探している割には考えるとは何かについて考えている方が少ないと思います
しかしこの点についてしっかり考え優秀な人材を探しだし有効活用すれば私たちの暮らしはより便利になることでしょう
何かの参考になれば幸いです